だいぶ前の話になってしまうが、2月3日、だんなが参加する別府大分毎日マラソンの応援に行った。
9時半過ぎ、バスでスタート地点に向かうだんなをお見送り。
去年、一昨年と、2年連続、40km関門で10秒ちょっとオーバーで完走出来なかっただんな。
過去2年とちょっと違うことをしてみようということで、バスに乗り込む前に、自撮りしてみた(笑)。
だんなを見送った後は、自分の練習。
海岸やコース沿いを60分ジョグした。
途中、「別府大分毎日マラソン歴代優勝者記念碑」でパチリ。
別府に来るたび、立ち寄る場所だ。
近年の優勝者達。
一番印象に残ってるのは、第62回大会の川内優輝選手。
25㎞以降の中本健太郎選手とのデッドヒートはすごかった。
その後、ホテルに戻り、シャワーを浴びてから、応援に。
いつもの場所、4㎞手前トキハデパート前に陣取った。
正午から10分ほどすると、早くもトップ集団が通過。
その後、参加することを把握しているランナーの皆さんを探しながら、応援。
おいやんさんを必死に探すも、残念ながら、見付けられず。
はてブロTシャツを着ておられるとのことだったので、すぐにわかるかと思いきや、全然わからなかった。
結局、ここで唯一わかったのは、トップが通過してから数分後やってきた、だんなだけ。
「頑張れ~!」と声をかけると、いきなり手袋を手渡される。
朝見た天気予報では、最高気温の予想が18℃とか19℃とか言っていたので、暑いのだろう。
こんなこともあるだろうと思い、予めビニール袋持参。
用意がいい、私(笑)。
その後、地下道を通って反対車線に移動し、折り返してくるランナーを待つことに。
これも、例年と同じ動き。
反対車線に移動後、16㎞を少し過ぎた辺りに陣取る。
しばらく待つと、トップ集団が通過。
その後、誰か知っている人が来ないかと目を皿のようにして探す。
往路は見つけられなかったSさんを発見!
声援を送った。
その後、だいぶ経って、だんながやって来た。
15㎞まで24分そこそこのペースで来ていたので、「いいペースだよ!」と声を掛けると、「キツイ!」と一言。
大丈夫かな?と思いつつ、次の応援ポイント、38㎞地点に向かうため、別府駅へ急ぐ。
ここでも、残念ながら、おいやんさんを見つけることが出来なかった。
例年、いつも同じ電車に乗って移動しているが、だんなが病気をしてからは、私もそれなりに急がないと、電車の時間に間に合わなくなった。
病気の後は、フルのタイムが5~10分程遅くなっているので、当然と言えば当然。
今年も、電車の時間には間に合ったが、車内は既に大混雑。
とりあえず空いている吊革につかまった。
電車に乗って、しばらくして、「ヤバい」と思った。
海岸線に背を向ける形で、吊革につかまっていたからだ。
電車は東別府駅を出ると、しばらく海岸線沿いを走るランナーと並行して走る。
毎年、電車の車窓からランナーの姿を見て、だんなに「頑張れ!」と気を送っているのだが、不覚にも、それに背を向けるポジションだったとは。。
東別府駅を出てからは、ずっと首を振り向けて、背中越しに海岸線を見ていた。
まずは、最後尾のランナーのすぐ後ろを走るパトカーや大会関係車両が見えた。
そのすぐ前に、最後尾のランナー数名の姿が見えたのだが、驚いたことに、そのうちの一人が、前日受付の後ランナーの広場で偶然会った、私と同年代の女子のお友達だった。
↓で、チラッと書いている。
後で、応援naviでチェックしたところ、彼女の20㎞以降のタイムの表示がなかった。
ものすごく残念。
体調でも悪かったのだろうか?
彼女の少し前に、だんながいた。
だんなは電車に気づいたのだろう、こちらに向かって、手を振っていた。
顔は笑っていた。
前日のランチの際、「電車で移動している時に、いつも姿を探してるよ」という話をした。
だんなはきっとそれを思い出したのだろう。
ものすごくうれしかった。
ものすごく恥ずかしい物言いをすれば、だんなの愛を感じた。
「きっと完走してね」
この気持ちが、だんなに通じてほしいと強く思った。
高城駅で下車し、38㎞地点へ徒歩で向かう。
応援ポイントに到着した時点では、先頭ランナーは既に行ってしまっていたが、まだカテゴリー1のランナーが通過している時間帯だった。
だんなが通過するであろう時間帯には、まだ1時間近くあった。
道路を数本縦断して33㎞地点に向かおうかとも考えたが、これからは通過するランナーがどんどん増えてくる。
道路を渡って戻ってくるのが難しくなる事態も考えられるため、速いランナーを応援しつつ、だんなが来るのを待つことにした。
応援naviでチェックすると、だんなは30㎞までの5㎞は24分台半ばで粘っていた。
まだまだ油断は出来ないが、このままのペースで行けば40㎞関門(スタートから3時間20分)は無事通過出来そうだ。
「今年は大丈夫かも」
安心したのもつかの間、35kmまでの5㎞のラップタイムを見て、私は凍り付いてしまった。
前のラップよりもちょうど1分遅い25分台半ばに落ちていたのだ。
「去年と同じように、また脚でも攣ったのだろうか?」
もう気が気でなくなってしまった。
それまでは、「頑張れ~!」、「ファイト~!」などと、ランナーに声を掛けていたが、それ以降は、「早く来て~~~!」と応援には聞こえない悲鳴のような声を上げてしまった。
しばらく経って、ようやくだんなが現れた。
「大丈夫?」と声を掛けると、「〇〇〇〇、大丈夫」と手を軽く上げて答えて、走って行った。
最初の「〇〇〇〇」が聞き取れなかったので、レース後に何と言っていたのか聞いたところ、「キロ6分でも、大丈夫」と言っていたそうだ。
つまり、「これから40㎞関門までの2㎞をキロ6分で行っても、間に合う」ということ。
だんなのすぐ後ろを走っていた2人連れのランナーは、「そうなんだ!」と喜びの声を上げていたらしい。
だんなが通過してからは、自分もフィニッシュ地点までの4kmをのんびりジョグで移動した。
コース上には、だんなと同じように、40㎞関門と闘っているランナーが多数。
「わぁ、わぁ」とものすごい息づかいで走る人がいる一方で、もう諦めて歩いている人も。
私にとっては、エリートランナーよりも、気持ちがわかるランナーたちだ。
私が39㎞地点に着いたのは、40㎞関門まであと4分というところだった。
私のすぐ隣で、「チクショーーー!!」と大きな声を上げたランナーがいた。
あと1㎞、キロ4で走るのは、もはや無理なのだろう。
悔しいよね、きっと。
気持ちがよくわかる。
私が40㎞地点についた時には、既に関門が閉鎖されてからだいぶ時間が経っていた。
収容バスに乗るランナーはほとんどおらず、皆、ジョグで競技場を目指していた。
関門にひっかかったランナーに混じってジョグしていると、応援naviから、だんながもうすぐフィニッシュという通知が来た。
去年は来なかった通知に、胸が震えるぐらいうれしかった。
良かった、リベンジ達成だ!!!
40㎞の通過タイムは、関門閉鎖前1分数秒前。
今年も冷や冷やさせられた。
結局、だんなは、グロスで3時間31分台でフィニッシュした。
だんなによると、競技場内を走っていて、3時間30分を経過すると、観客からため息が漏れたそうだ。
でも、そんなことはどうでも良い。
だんなが3年ぶりに、別大を完走出来たことには変わりはないのだから。
だんなが来年再び別大にチャレンジするかどうかは、まだわからない(資格はある)。
ただ、チャレンジすると決めたのであれば、また現地で応援したいと思う。
また思いっ切りハラハラドキドキさせられてしまうだろうが、結果はどうであれ、別大を走るだんなは輝いているから。
最後までご覧頂き、ありがとうございました。
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