Step by Step ~ 2025年サロマンブルー達成へ

走歴20年のアラ還女子ランナーのブログ。現在、くるぶし骨折からの回復途上で走れません。めげずに、2025年のサロマンブルー達成を目指しています。

くるぶし骨折の記録③~悪夢のような年明け

 

昨日は日中暖かかったので、外を歩いてみました。

ポケストップを回しがてら、近所を500mぐらい。

相変わらず左足を引き摺りながらではありましたが、外の空気を吸えるだけでも、いい気分転換になりました。

 

しかし、今日になって、アキレス腱に痛みが(涙)。

今日もお天気が良かったら外を歩こうと思っていましたが、無理は禁物。

おうちで大人しくしておこうと思います。

 

さて、くるぶし骨折の記録を続けます。

今回は、年末年始の出来事について。

バックナンバーは↓からどうぞ。

 

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受傷から2日経ち、大晦日を迎えました。

前日思いがけず松葉杖生活に突入し、買い物に行けなかったため、冷蔵庫はほぼ空っぽ。

だんなが富山の実家から帰ってくるのは、午後の予定。

それまで、戸棚にストックしてあったお菓子で食いつなぐしかありませんでした。

ひもじかった(:_;)

 

午後1時半頃、だんなが帰宅しました。

怪我をしてからずっと一人で心細い思いをしていたので、だんなの顔を見て、思わず涙が出ました。

だんなは富山のおみやげ、ますのすしを買ってきてくれたので、早速頂きました。

おいしかった。

 

ますのすしの写真を撮り忘れてしまったので、無料の写真素材のサイトから画像をゲット。

 

ますのすしを食べたらすぐに、だんなは近所のスーパーへ買い物へ。

思いがけず年末年始を自宅で過ごすことになったので、食材を買い込んできてくれました。

 

帰宅して以降、だんなは我が家の家事全般を担うことになりました。

これも、私がくだらない理由(=ポケモンのジムへの配置)で、足を捻って骨折してしまったせい。

だんなは、「大丈夫だよ」と言ってくれたけれども、申し訳なくて。

 

この日の夜は、だんなが年越しそばを作ってくれました。

本来であれば、私は静岡の両親宅で、だんなは富山の実家で過ごしたはず。

きっとそれぞれの家で、子供のために色々と料理を用意してくれていたはずです。

そんな親たちの気遣いを、私の一瞬の不注意が台無しにしてしまった。

考えれば考えるほど、自己嫌悪に陥りました。

 

東京の自宅で迎えた新年。

夫婦そろってお酒好きの私たちは、例年であれば、元旦は朝から乾杯したりするのですが、今年は私が骨折しているため、たくさん飲むことは憚られました。

だんなが富山のお酒を買ってきてくれたので、朝ごはんの時におちょこ一杯のみ頂きました。

 

ここ数日思いがけなく怪我をした心細さから眠れない日々が続いていたせいか、午後になってひどい眠気に襲われました。

テレビを見る以外特にすることもなかったため、昼寝をすることに。

 

ものすごく熟睡していましたが、突然ものすごい揺れを感じて、ベッドから飛び起きました。

テレビを付けると、北陸の方で大きな地震があったと報じていました。

だんなはすぐに富山の実家に電話をかけました。

両親ともに無事で、大きな被害がないことを確認出来て、安堵しました。

 

私の骨折がなければ、だんなは元旦の午後に富山から東京に戻る予定でした。

予定通りであれば、地震の影響を受けて、ひょっとしたら新幹線の車内に長時間取り残されたのかもしれません。

大袈裟な言い方をすれば、私の骨折がだんなの運命を変えたとも言えます。

 

その後は、テレビでずっと北陸の地震関連のニュースを見てました。

被害のあまりの甚大さに、言葉を失いました。

そして、翌2日、ほぼリアルタイムでテレビで見た、羽田空港の衝突事故もショックでした。

海上保安庁の飛行機は、地震がなければ、出動することはなかったはず。

だんなもそうですが、一つの出来事によって、人の運命は大きく変わってしまうのだな・・・と実感しました。

 

自分の骨折、能登地震、そして、羽田空港の衝突事故。

起きてほしくないことばかりが起こってしまい、悪夢を見ているようで、毎日がとても辛かったです。

 

慣れない松葉杖で出掛ける気にもならず、家から一歩も出ない日々。

パジャマから着替えることもなく、ひたすらだらだらと過ごしたお正月でした。

 

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